豪奢な造りが目を引く青雲亭寺院

こんにちは。放浪のバックパッカー旅すけです。
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世界を股にかけて旅する股旅ブルース。
今回はマラッカの歴史とルーツを探ります。
旅する中で耳にした民族にまつわる謎の言葉とは?

東西文明の出会い。世界遺産の街マラッカに伝わるババニョニャとは?

古都マラッカの歴史は古い。
14世紀末に建国されたマラッカ王国は海峡での東西貿易の中継地として繁栄してきた。
1511年、マラッカに目をつけたポルトガルによって征服され、17世紀に入ると今度はオランダの支配下となった。
更に時を経て19世紀初めにはイギリスの植民地となる。
どれ程の国々がこの地を狙い、征服して来た事だろうか。
マレー半島の小さな王国が生み出す貿易と採掘の利益は多大なものだったのだろう。
600年の長きに渡る歴史は西欧と東洋の融合による独特な街並みや文化を生み出す事となったのだ。
そんなマラッカでなにやら不思議な言葉を聞いた。ババニョニャだ。

なにやら聞き慣れない言葉のババニョニャ。
マレー語?それとも方言?
正確には中華系の移民男性が19世紀後半までに現地のマレーシア人女性と婚姻し、産まれてきた混血の男の子をババ、女の子をニョニャと呼ぶらしい。
これらの子孫達を地元では「ババニョニャ民族」と呼ぶのだとか。
なんだか可愛いくて馴染みを感じてしまう。
ちなみに混血の人々は他にもインド系やポルトガル系もいるが、広義で意味する“プラナカン”の中でもババニョニャは中華系民族を指すらしいのだ。

確かにマラッカの街は洋風な建物が並ぶのだが、中国風寺院やヒンドゥー寺院も各所にあって多様な暮らしぶりが分かる。

中でもメイン通りの東側の通りにある青雲亭仏教寺院はマラッカでも有名な寺院のひとつだろう。
意匠を凝らした木工細工が美しく、祭事には広い敷地に参拝客が多数集まるらしい。

寺院て心落ち着くなぁ〜。
宗教関係なく寺院好きな僕はモスクだろうとシナゴーグだろうと、旅先でお参りさせてもらってるのだ。

お線香をお供えして旅の安全を祈っていると、グ〜と不謹慎な音がどこからか聞こえて来た。んっエドはるみ?なにでもない、自分の腹からですけどっ!!

中華系プラナカンであるババニョニャには、代々受け継がれるニョニャ料理なるものが存在するらしい。
その成り立ちの如く、父系祖先である見た目が中華料理と、母系祖先のマレー料理で使うスパイス・香辛料などの味付けがミックスされたのだニョニャ料理なのだ。
中華にスパイスって、それ絶対美味いやつ〜!!
早速ニョニャ料理を味わうとしよう。

マラッカのメイン通り沿いにあるレストラン義結會(Gi Kiat Huay)はマレーシア名物ラクサのお店。
ラクサとはカレー風味のスープにココナッツミルクを加えた麺料理。
主にマレー半島で親しまれているが、元々はここマラッカのニョニャラクサが発祥らしい。
店内は古い建物だが、中は広く中庭や内装がプラナカン建築の家具や装飾で飾られている。
立ち食いそばのように店頭で茹でて注文するスタイルが庶民的でうれしい。

香辛料の香りを漂わせラクサが運ばれて来たが、オレンジ色のスープなんて初めて!
スパイシーでコクのあるスープにココナッツミルクのまろやかさがクセになる、なんとも新しい味だな。
麺はラーメンのような卵麺で食べ応えもある。
さすがマラッカ、食にも東西文明の融合を果たすとは!
ニョニャ料理、歴史を感じさせる味わい深い逸品だった。

マラッカ、そこにあるのは古き伝統だけではない。
異文化の邂逅で生み出された街は今も進化し続けている。
ババニョニャ達はこれからもイノベーションを起こすのだろう。
てゆうか、美味しい料理考えてほしいかな・・!そこかよっ!!

今回も股旅ブルース、最後までお読みいただきありがとうございました。
次回、77話 マラッカのセントポール教会で愛を叫ぶ
をお送りします。

Gi Kiat Huay
86, Jalan Hang Jebat, 75200 Melaka, マレーシア