教会前に屹立する神格化されたザビエル像

こんにちは。放浪のバックパッカー旅すけです。
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世界を股にかけて旅する股旅ブルース。
今回はフランシスコ・ザビエルゆかりの地を訪れます。
今や朽ち果てた教会はキリスト教の聖地なのか・・。

丘に佇む聖なる教会。セントポールはザビエルと日本を結びつけていた。

突然だが、日本に初めてキリスト教を伝えたのは誰かご存知だろうか?
①フランシスコ・ザビエル②ペリー③デーブ・スペクター。
もちろん①のフランシスコ・ザビエルである事は誰もが知る事だ。
1506年現在のスペインであるナバラ王国は貴族の家に生まれた彼は1549年に日本に来着した。彼の布教活動は苦難を極め、2年を費やした後インドに戻るがその後病に伏し1552年46歳の生涯を閉じる事となった。
彼の死後、その宣教活動は高く評価されペリー率いるアメリカ艦隊の日本遠征を決心させる元となったのは有名な話である。

そんな世界的な偉人であるフランシスコ・ザビエルだが、実は日本に来着する2年前にここマラッカを訪れていた。
彼はここマラッカでやじろうと名乗る風変わりな武士と出会うのだが、これがきっかけでザビエルは来日を決めたらしい。
些細な出会いが歴史を動かすのだから、縁とは凄いものだ。
そんなマラッカでの布教活動の拠点としていたのが、旧市街を見下ろす丘にあるセントポール教会だ。

1512年、ポルトガル占領下で建立された当初は礼拝堂のみの簡素な造りだったらしい。
幾多の戦禍を潜り抜け、現在では屋根のない跡地だけが残っているが当時の荘厳な雰囲気は今でも感じられる。

窓や扉のあった場所はぽっかり開いた四角い空間となって、真っ青な空を描いている。
それは朽ち果てた石壁の茶褐色と灰色の退廃と言うべきコントラストと異様にマッチしてシュールレアリスムの絵画のように見えた。

教会の奥には無数の石板が壁に立てかけてあった。
モノリスのように何かを暗示するようだが、板上には家紋のような模様やアルファベットの文字が彫られている。

どうやらこれらは墓碑のようで、1600年代に設置されたらしい。
無数に並ぶ墓碑はかつてのキリスト教功労者たちのもの。

この地での長い年月を物語っているかのようだった。教会前にはザビエルの像が屹立しているが、よく見ると右手がない。なんだか不吉だが、建立当初は右手はあったらしい。なんと落雷によって砕けてしまったのだ。ザビエルの聖人としての逸話による所もあるらしく、片手の様相もますますこの地を神格化しているのだ。

丘からは真っ青な空が広がり、いづれ拝めるであろう巨大な夕陽の美しさに期待せずにはいられなかった。

だが、現在時刻は15時。
マラッカもひと通り見終えたし、どうしよう・・、やることない。
木陰で休んだり、サンチャゴ砦行ってみたり。

しかも異常な暑さ。バックパックは重いしなぁ。

クアラルンプールに帰るか。
ごめんよマラッカの太陽!この暑さの中、日暮れまで耐えられそうにない、また必ず来るからなーっ!!と丘の上から勝手に叫び、マラッカを後にするのだった。
この根性なしっ!

今回も股旅ブルース、最後までお読みいただきありがとうございました。
次回、78話 クアラルンプールの巡って楽しい寺参り
をお送りします。

セント・ポール教会
Gereja St. Paul, Bukit Melaka
1935, Jln Kota, Bandar Hilir, 75000 Melaka, マレーシア